宇宙船

映画の話

【読んだ本の話】


去年、『彼女がその名を知らない鳥たち』という映画を観ました。

好きな俳優がたくさん出ていたから観たんだと思います。それから、ちょっと変わった恋愛モノっぽくて、たまたま、映画を一緒に観たい友人がいて。

登場人物の名前が、陣治、だったのが気になったのかもしれません。
陣治、ジンジ、ジンジ、というのは、わたしにとってはとても大切な名前でした。

映画はわたしにはかなり上手いこと編集されていて、ミスリードされて、蒼井優の表情が最高で、結末が衝撃的で、あぁ面白い映画だったなぁ、と。愛がすごいなぁ、と。
その後も、じわじわと良さが溢れてくるような映画でした。

映画の最後の最後の台詞に心を奪われていました。
スリードよりも、その台詞の衝撃がとても大きくて、叫びたくて、マジか、と思って、観てしまった、と思いました。

そらから、「共感度ゼロ」という宣伝文句がずっと気になっていて、確かに共感、とまではいかないし、同じことを出来るだろうかと考えるのも実感がなくて、でも、ゼロと言って別物の他人事にしてしまいたくはないと思いました。

それからすぐに原作を買って読んだんです。

十和子目線で語られる陣治は、映画よりずっとずっと不潔、チンケ、下品、卑屈、下劣、滑稽な男。本当に、文章を読んでいるだけなのに、臭くてたまりませんでした。
6頭身の小男、ごま塩の天然パーマ、色黒をさらに真っ黒に日焼けした黒い肌、野良犬みたいな目の陣治を、うまく想像することができませんでした。(どうしても阿部サダヲが出てくる)

映画では描かれていない陣治の幼少期のこと、時折見せる空っぽの表情、仕事のこと、凄まじい劣等感や、自尊心が、本にはたくさん書いてありました。
きっとそうしたエピソードが、十和子の推理に繋がっていくんだろうけど、結末を知っているわたしは、佐野陣治という人の人生に思い巡らしました。
十和子目線だから余白が多くて、余白分の陣治のことを考えずにはいられませんでした。

陣治のことを愛おしく感じました。だけど実際に陣治が現れてもわたしは無理だな、と思いました。
しょーもな、自分、と思いました。

十和子も陣治も、一言で言うと最悪でした。
最悪なのに、負けた、と思いました。
映画を観た時も本を読んだ時も、勝てないと思いました。わたしは完敗していました。

陣治が十和子を愛撫したあとに、「陣治はええんか?」「俺は自分でするわ」と自慰する場面があって、映画でも衝撃を受けたのを覚えています。
原作だとちゃんと自慰の様子が書かれていて、十和子に頼んで「陣治がいてて、ほんまによかった」と言ってもらって、声も出さず小さく果てるんです。
悲鳴をあげそうになって本を閉じました。
悲しいとも、寂しいとも、恐ろしいとも言えない、なんかよくわからない気持ちが溢れてきて、遠くて、暗くて、なんで……と思いました。

そういうことがたくさんありました。

作中に砂漠の話が出てきます。
果てしない砂漠にひとりで投げ出されると、窒息しそうな閉塞感があって、逆に石窟寺院の暗くて狭い穴の中にいると、無限の空虚にのまれそうになる。
その感じが読んでいる間ずっとありました。

助けて!おいていかないで!ひとりにしないで!という気持ちになる物語です。
本の中に取り残されるのではなくて、本から突き落とされて、真っ暗闇に落ちそうな感じになるんです。何度も本から突き飛ばされる。
最後には、大切な人の身体から抉り出した心臓か何かをポンと手のひらに乗せられたような、なんてことするんだという気持ちと、粗末にしてはいけない、大事にしなくてはいけない気持ち、まだ温かい内臓の気持ち悪さ、どうしていいかわからない気持ち、愛しさ、悲しさ、なんかがドバドバ溢れました。


共感度ゼロ、わからない人には、一生わからないでいてほしいです。
誰のどんな思いも関係なく、誰かがアリとかナシとか言うもっと前から、十和子と陣治はコンクリートの壁の向こう側で、へその緒で繋がっているんだろうかと思うと、完敗でした。

黒い陣治を見ながら、わたしの、牛乳みたいに白くていい匂いのジンジについて考えていました。白、白、白目みたいやな、と思いました。白目はすごく硬くて、目の形を保って、中身が出ないように守ってくれていて、強膜と言うんですが、それに似ていました。

愛情、と聞いてイメージするあたたかい形、ハート型、笑顔、目に見えて机に置ける愛を、きっと大切にして生活しています。

それでもこの、強膜と網膜の間を流れる血液みたいな、そんな、ほとんど宇宙みたいなところを静かに流れる愛に、信仰みたいな気持ちを抱いていて、帰りたい、わたしの一生分の祈りだ、と時々思うんです。